健康になろうとすると健康になれないかもしれない
column
- コラム
私が顧問医師を務めているW-GYMでは、
トレーナーのみなさんとあらゆる方向から
健康についてお話する機会も多くて、
健康になるにはどうすればいいか、
それぞれ自分のフィールドで勉強し続けています。
というと、題名が矛盾しているように思えますが、
「健康」についての捉え方についてです。
幸福になろうとすると、
幸福が感じられなくなってしまう
という研究結果があります。
僕は、これは健康についても
あてはまるのではないかと考察します。
「え?」と思いますが、注意してください。
例えば、自分は〇〇すると、喜びを感じることができる、
だから今週末は〇〇してみよう。
そして結果的によかったな、
幸せだなと感じる。
というのではなく、
私はもっともっと幸せになりたい!
そのために、理想の結婚相手を探す!
という状態でしょうか。
つまり、幸せとは結果的に感じるものであって、
そもそも完璧に幸福な状態などありえないし、
期待して求めていってしまうと、
現実との差で幸福が感じられにくくなってしまうのでは?
ということを示唆しています。
健康も同じで、加齢によって機能が落ちたり、
病気にかかることはさけられませんから、
つねに完璧な健康な状態はありえないわけです。
もしこれ同様に求めていくと、
現実は完璧な健康からは遠ざかっていくのに、
健康を求め続けることになって、
現実とのギャップで逆に幸せじゃない、
どころか逆に不健康になってしまうのではないか
と考えています。
体調に注意が行き過ぎてしまい、
ずっと気にしてしまっている、
異常を発見するために病院を回り続けて
副作用のある精密検査を受け続ける
といった方もよく経験します。
では、何をもって健康とするのか、
根拠のある習慣を続けていく
モチベーションはどこにみいだすのかというと、
これは様々な研究を俯瞰してみたときの
ひとつのおすすめですが、目に見える、
あるいは実感した結果を指標にすることです。
例えば、僕は筋トレを習慣化してから、
仕事の1時間あたりの作業量が3倍位に上がりましたし、
休日勉強する量が大幅に増えました。
風邪にかかることもほぼなくなり、
何より仕事の疲労感を殆ど感じなくなりました。
もちろん体調が不調なときはありますが、
体作りを習慣化したおかげで、
メリットが目に見えるようになり、
結果的に健康を実感することが多いです。