人生は劇的なもの~何者かを演じるということと、自分自身に帰るということ
column_maeda
- 前田岳人
- コラム
舞台役者になって気分で
あなたは今、とある劇団に所属しています。
そこで次の舞台では、中世のどこかの国の王様の役を務めることになりました。
この王様は残虐な性格で知られていて、民衆からは恐れられています。
さて、あなたならどんな風に演じるでしょうか?
きっと身体を大きく見せるように胸をそらし、民衆を見下すような動きをするでしょう。
声は太く低く、よく届くようにするでしょう。
なるべく威厳を保つことに必死になるかも知れませんね。
また別の演目では、あてもなくさまよう旅人の役を演じます。
空腹で、歩き疲れ、今にも泣き出しそうな旅人を演じる時、先ほどの王様と同じように舞台で振舞ってはいけませんね。
きっとうなだれて、とぼとぼと歩き回り、声は細く聞き取るのがやっとといった感じでしょう。
そしてそれぞれの物語で、王様が失脚したら、あるいは旅人が巨万の富を得たら、それに見合った振る舞いをすることでしょう。
もう王様は王様ではなく、旅人のお腹は満たされ疲れは吹き飛んでいますから。
心のありようは身体にあらわれる
さて、何が言いたいか。
人間の心のありようは、姿勢や立ち居振る舞いや声、つまり身体ににあらわれるということです。
虚勢を張る人は胸をそらして自分を必要以上に大きく見せようとします。
自信を失ってしまった人はうなだれ、全ての動きが小さく緩慢になります。
心のありようというのは生い立ちや、今置かれている状況にも大きく影響を受けますので、今どうなっているのかがよいとか悪いとかそういう話ではありません。
「そういう影響があるんだな」ということを知っておくだけで、何かしらの対処が少し上手になるかもしれないということです。
そして肩が凝っていたり腰が痛かったり、あるいは何かと疲れていたりする要因が、そういった普段の心のありようから来ている可能性は多分にあります。
逆に言うと、身体の方を整えてしまえば、心の方も整うという考え方も出来ます。
W-GYMは心理カウンセリングをする場所ではありませんので、当然身体の方から整えることを推奨しています。
実際、頭の位置を整えたり、関節動きを整えていくと、心がスッキリするものです。
演劇指導を通して学んだこと
私はかつて、少しだけですが演劇の指導を受けたことがあります。
演劇を通して、身体のことをもっと知りたいと思ったのです。
素人参加型のショートアニメのオーディションを受け、なんと主役を勝ち取ったのです。
それはさておき、その主役というのはとある政治家の役だったのですが、議場での振る舞いと幼馴染と話している時の振る舞いを明確に分けるようにと言われました。
またとある陰謀を企てる時は「もっと怖い感じを出して」と言われましたし、その政治家の声でナレーションをする時は「もっとナレーションっぽく」と言われ、なかなか難しいと感じたものです。
当然表情だって場面場面で変わるわけです。
表情が変われば声が変わります。
これは貴重な経験で、とても面白かったですね。
実際の生活もある意味では演劇みたいなものです。
例えば私であれば、身体の不調を取り除きたいと思って当店にお越しのお客様の前での振る舞いと、スポーツのパフォーマンスを高めたいと思ってトレーニングに励む選手の前での振る舞いは明確に区別をします。
かつてスタジオレッスンをしていた時は完全に役者気分でしたし、激しいレッスンとゆったり系のレッスンではまるで別人です。
家庭と職場での振る舞いは誰だって別でしょうし、相手によって態度が変わるのも自然なことです。
自分に帰ろう
いつだって何者かを演じているのが人間というもの。
だから、たまに疲れがどっと出ることがあります。
何かを演じ終えた後に、「あれ?普段どんな風に喋ってたっけ?」みたいになることはよくあります。
そんな時のリセット術としても「自己内部探訪の旅」は使えます。
この取り組みは誰でもない自分自身を探る物語なのです。
いつも何者かを演じているのであれば、いつも最後は自分自身に帰りましょう。
自分の足が、手が、頭が、背骨が、呼吸が、心拍数が……と自らを巡ります。
ただ巡るだけでも、何かと整ってくる感じがして、自分を少しずつ取り戻す感覚が得られるかもしれません。
そうすれば虚勢を張りすぎていることに、逆に自分を過小評価していることに気づけるかもしれませんね。
誰だってもっと自然体に、もっと楽に、もっと快適に、もっと自由になれるはずです。
大きなトラウマがあるなら、少しずつ歩めばよい。
自分自身に帰って、自分のペースで、自分の望む方へ。
気づきは祝福です。
その気づきによって、人生が変わります。
もしかしたら、劇的に変わるかもしれません。